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柏崎刈羽の教訓がなければ、福島事故で東京は壊滅していた 新潟県知事が語る再稼働問題(1)

2013年10月8日19時54分

柏崎刈羽の教訓がなければ、福島事故で東京は壊滅していた 新潟県知事が語る再稼働問題(1)

柏崎刈羽の教訓がなければ、福島事故で東京は壊滅していた

泉田知事:皆さんこんにちは。この度はこのようなプレゼンテーションの機会をいただき、ありがとうございます。私、2007年の新潟中越沖地震によって生じた柏崎刈羽原発の対応に当たった経験がありました。今回、東日本大震災と同時に発生した福島事故については、この2007年の対応に比べて極めて問題が多い、課題が積み残したままの状態で進もうとしていることに懸念を持っています。2007年の時は問題点を抽出して、それに対する対策をとってそして次に進むということをやりました。


ですが、今回はこのプロセスがほとんど省略されているといってもいい状況です。いくつが例示をさせていただきたいと思います。中越沖地震の時、新潟県庁と原発サイドの間には、ホットラインがありましたけど、これが機能しませんでした。仕方がないので、私は東電の本社を経由してこのプラントとの間のコミュニケーションをとりました。このホットラインが機能しないのは困るということがありました。国の規制基準にはありませんでしたけど、ホットラインの部屋に地震で歪んで入れなくなるなんていうのは困るので、ちゃんと対応をするように求めました。東電も国も我々の要求に応えて造ってくれたのが免震重要棟です。この新潟県だけに免震重要棟があるていうのは変だよねと、TEPCOは福島でも原子力発電所のオペレーションをしていますので、新潟につくったのだったら福島にもつくらないといけなと言ってできたのが事故の半年前です。もし2007年の新潟の地震でいい加減な対応をしていたら、福島のプラントには免震重要棟はありませんでした。もし福島に免震重要棟がなければ、今東京に人は住んでいないと思いますし、この東京で私がプレゼンテーションをすることもなかったと思います


実は2007年の柏崎の火事の事故においては、自衛消防隊には消防車がありませんでした。地震の後にですね、消火栓が折れてしまって水が出なくなりました。東電の自衛消防隊はすべて避難しましたので世界に向かって誰もいない原子力発電所から火事が起きている映像が配信されてしまいました。今回、福島でですね、消防注水をするときに、なぜ福島の発電所に消防車があったかといえば、この新潟での地震の経験をふまえて、消防隊を組織し消防車を配置することを求めて当時は政府と東電がそれに応えてくれたからです。


ここでですね、火事がどのように起きたかというのを説明をしてみたいと思います。中越沖地震では建屋の周りが一番激しいところで1.5メートル沈下をしました。その結果ですね、トランスが配管が外れてしまうていう事故が起きました。この中に、トランスとつなぐパイプが外れたためにですね、電線をつなぐコンセントのショートの火事が起きてしまったということで。2007年地震の後、再稼働するときにですね、この地盤の強化ということも、基礎と建屋に関することでパイプの破断を防ぐ対策をとりました。この対応も、政府の規制によってやったわけではなくて、地震の経験を踏まえてとられた処置です


 

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