――放射能の漏れが、選挙に勝つまでは伏せられていたと言われていますが根拠はありますか。
泉田 これは自民党と言いますか、政治指導だったかについては疑いを持っています。特に新潟は原発の問題は大変政治主題になる問題でした。与党にとってはですね選挙中にこれを話題にするていうのは、決してプラスではないという感覚がありました。選挙期間中にですね突然、申請するとTEPCOが宣言をして私のところに訪問することになりました。政権与党にとっては、少なくとも新潟にとっては迷惑というのが普通の反応と思います。
したがって、政治指導でやったというよりはむしろTEPCOの役員構成が変わったことが大きいとみております。財界から社外取締役がかなりはいっています。広瀬社長もですね適合申請をすると、記者会見が終わった後にご本人が言ってましたが、社外取締役からかなり話があったと聞いております。東電で生え抜きで育った役員は地元自治体との安全協定が法律の補完しているということを当然知っていました。一方、ビジネスのみをやってきた方にとっては、そんなもの無視してもいい風に考えたとしても不思議はないと思います。
したがってですね、多数決の原理で決まったところ、すなわち電力消費地である首都である東京とリスクを負う原発立地地域である新潟の意識の差というのも背景にあったと思います。実は私も経済省に勤めていた時代に東電のトラブル隠しがありました。東京ではですね、でんこちゃんがCMに出てきて節電しましょうねと言っていました。
でも、その時、新潟では国家でエネルギー政策どうするかていう議論が県議会で行われています。東京にいる時はですね、エネルギーは節電ということしかなかったんですけども、まさに地域の生活とそれから国家のエネルギー政策という深い考えを都市住民は持たれていないのではないでしょうか。県議会での議論というのは、知事に就任してから、そういうことがあったのかということを後付で知った東京都民でした。このような認識の違いが背景にあったと思います。
――そういう状況が明らかになったのは選挙の後だったということは偶然ではないんですか?
泉田 これはですね、東京電力の体質の問題ではないでしょうか。ですから、TEPCOが選挙影響を慮って後送りしたと、少なくても選挙の前にはわかっていたのですが、漁民に説明することを理由に広瀬社長自身が発表を遅らせていますのでそれは意図的な部分があったと思います。
さらに言いますと、5月の段階で放射性物質の濃度が上がっているわけですから、普通に調べればもっと早く発表できたと思っております。不自然な経緯があったので先ほど申し上げた通り、なぜ選挙後に発表したんだと問われれば、広瀬社長は3.11のレッスンを学べなかったと言わざるを得なかったということです。
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