『星座』というキレイなタイトルの映画が11月9日に公開される。それを受けて奥秀太郎監督のインタビューに伺ったが、そこで聞いたのは新作と真逆に近い、3.11以降の日本の話だ。
「規制が厳しくなる中で放射能防護服がデフレになっている」というところを今回はあえてエンターテイメントを目指したという、その理由は何だろう。
そして今回を初め、多くの作品で舞台としている京浜工業エリアの蒲田や川崎といった工業地帯と監督のゆかりとは~また「今回初めて通った」という映倫の規制基準と映画作成者の自主規制など、あまり知られないが重要な、邦画の裏側にある事情を過去の作品も振り返りながらお伝えする。
ーー実はだいぶ失礼ながら、星座を見るまで奥監督のを見たことがなかったんですが、それで星座の後にまとめてみて、普通のファンと逆の順だったんです。一言でまとめて、何かがない作品が多いですね。
奥秀太郎監督(以下、敬称略) 自分では気付いてなかったですね。でも確かに何かがないというので自分でまとめてなかったのですが確かにそうですね。
ーーすいません、実は頭の中で勝手に「この監督は何かがないというのをテーマにしている人だ」と思ってたんです。
奥 確かに何かがないというか欠損という、意識があるのはホントですね。目が見えない、口がきけない。
ーーそして指がない。今回はその要素が際立っていて、色がなく、主人公がしゃべれないですね。際立ってますよね。
奥 ええ、いろんなものがない人がたくさんいるので。常識も無い(笑)
ーーかつて作品のメイキングで、こんな取り方でいいの、捕まりそうになったら逃げそうになればいいと仰ってました。
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