円谷英二はウルトラマンの「円谷プロ」の方ですが、戦時中・戦前には大量のプロパガンダフィルム作成に携わっていました。実は筆者は一度しか、戦前の彼の作品を見たことはありません。それは京橋の国立近代美術館での上映プログラムだったのですが、その映像美は、キューブリックのような構図で手持ちカメラがぐいんぐいんと動くような躍動感がありました。
日本映画史上で、1996年までの北野武フィルムと並ぶ最高水準の作品であり、当時の映像会のベスト&ブライテストが総力戦に参加していた様子が読み取れました。
ところで、これらの魔性的な魅力を持ったフィルムは米国による戦後の占領期にOSSによって接収されてしまい、余り国内には残っていません。そこで筆者は米連邦情報公開法に基づいてNARA(アメリカ国立公文書館)にフィルムの開示請求をしたのですが、「作者別」では分類していないという通知でした。
(こちらはいちおう、便宜のためにWikipediaの円谷英二の項目を送ったのですが。)
ともかく、それではということでこんどは戦前に作られた円谷英二作品の一覧を以下の様にリストアップして情報公開請求しております。
Atarashiki Tsuchi (1937) –
Kaigun Bakugeki-tai (1940) –
Enoken no songokū: songokū zenko-hen (1940) –
Shiroi Hekiga (1942) –
Nankai No Hanataba (1942) –
Tsubasa No Gaika (1942) –
Hawai Mare oki kaisen (1942) –
Ahen senso (1943) –
Ai No Sekai: Yamaneko Tomi No Hanashi (1943) –
Ongaku Dai-Shingun (1943) –
Hyoroku Yume-Monogatari (1943) –
Otoko (1943) –
Ano hata o ute (1944) –
Kato hayabusa sento-tai (1944) –
Tokyo Gonin Otoko (1945) –
結果がどうなるかは不明ですが、開示されれば貴重な文化的資産になります。なお、円谷さんの遺産はエヴァンゲリオンの庵野秀明監督にも強い影響を与えて(エヴァンゲリオン・スキゾとエヴァンゲリオン・パラノなどのインタビュー参照)脈々と80年以上、受け継がれていることになります。
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